ようこそ、中国上海!
中医薬、世界へ広がる

「中国永久居留証」001番の秦範雄

2019年 7月 11日9:27 提供:東方網 編集者:王笑陽

上海の変化を語る

 2004年、65歳になった時に秦範雄は上海神明電機有限公司を辞職した。今年で80歳になったが、あいかわず元気で、ゆっくりしてはいられない人のようだ。現在は新しい会社を作り、日本から輸入したグリーンパートナーという、環境にやさしい化学製品の会社を経営している。彼によると、この製品は数年ですぐに市場に認められ、取引先は全国各地に広がっているが、上海の企業はそれほど多くないそうだ。なぜかというと製造業が上海から離れているからで、これも上海で起きた大きな変化の一つだ。ものづくり企業がだんだん離れていく一方で、上海は技術の研究·開発センターに成長して来ている。上海に残った製造業が知能工場に進んで行くのはトレンドと言える。

 秦範雄がここで生活してきた30年間、上海の変化は非常に激しかった。

 「変化が大きいですよ。30年前に皆さんは化粧もパーマもしなかったですね。服装は大体紺色かカーキ色か緑でした。スカートなんか履いていなくて、みんなズボンでした。それと上海の一番賑やかな淮海中路や南京路に行くと、道の両側に『不吐痰(つばを吐いてはいけない)』と書いてありました」

 「内面の変化も大きいです。あの頃人々は信号を全く無視していました。私が信号を見て待っていると、この人はおかしい、なぜ行かないんだという目で見られたものです……。今はそのようなことはないですね」

 「もう一つの面白い話はですね。私は総経理で、うちの部長と課長も日本人で、中国語が全然できないです。そうすると一緒に出張して旅館に泊まる時、私の場合は中国の運転免許証でチェクインしてそこに中国籍だと書いてあるので、部下とは値段が違うんですよ。そして汽車の切符を買う時も違うし、汽車の中で食事をする時もそうです。私のほうが安いのです。そういうのは今では全然なくなりました。だから、ソフト面の変化も時代とともに速く進んでいます」

秦範雄が書いた改革開放への望み

 「中華人民共和国永久居留証」を得たのは2000年のことだった。「これは私が上海の改革開放を目撃し、上海の建設に参加した証明だと思います。本当に光栄です。そして上海、また上海の発展のために私と一緒に頑張ってきた人たちに対して、感謝の意を表したいです」、と取材の最後に秦範雄は語った。

(編集:W)